好きなもの、好きなこと

好きを言葉にする。残念なアラサー。

20代を振り返る

 つい先日友人が29歳の誕生日を迎えた。笑えないねといいながら大笑いしていた。25歳になり四捨五入して30なんてやばぁと笑い、26歳になって20代後半を自覚、27歳いよいよ本当のアラサーの仲間入りを果たし、28歳高校を卒業して10年なんだねと言ってみたりして、29歳…アラウンドなんて優しさで包みきれない直接的な30がもうすぐそこ!!!

 

 誕生日を迎えた彼女は結婚願望が強い、そしてなかなかモテる。でもどうやら今のところは結婚相手はいなくて、結婚というゴールはまだ先のようだ。彼女と私は状況が同じようで違うけど、同じなことが多いから同じと錯覚して安心感を得られる。

 

  彼女が29歳の誕生日を迎えるにあたり、20代を振り返ってみた。大学生の頃の女子会は気になる人がいるかいないか、イケメンがいるかいないか、彼氏はできたかで盛り上がっていた。社会人になり環境が変わっても、気になる人はできたか、彼氏はできたかで相変わらず盛り上がっていた。社会人になって数年が経ち、第一次結婚ラッシュがやってきた。『これ以上付き合っていてもなにも変わらないから結婚することにした』という報告を受け、結婚とはそんなものなのかとイメージを覆された。やがて集まるきっかけが結婚式や余興、結婚祝いの打ち合わせなどに変わっていった。そして結婚した友人宅(借家)に遊びに行き母子手帳が転がっているのを発見して『あ、実は妊娠したの』と聞かされた20代後半。これまではオシャレな居酒屋カフェで夜に集まっていたのに、やがて子連れで入れる座敷のあるお店でランチを食べるようになった。そして現在、『家を建てたから遊びにおいでよ』といった理由で集まっている。みんなどんどん着々とステップアップしていく。つきあう→プロポーズ→同居→結婚→妊娠・出産→家を建てるといった具合だ。(先に妊娠パターンもあるけどね)

 

 まだ一段も登っていない彼女と私は、階段をのぼり遥か上にいる友人たちを見上げている。まるでジャンケンして勝った人がどんどん階段を登っていけるグリコゲームのようにずっと負け続け、友人たちが登って勝ち進んでいくのを見届けている気持ちになる。人生に勝ち負けなんてないのはわかっている。けれどもなんとも言えない焦燥感、不安感と少しの劣等感。

 

 20代は人生の節目がたくさん訪れるようだ。けれどそれはファーストステップ、『彼氏ができる(つきあう)』というスタートを切らないとご縁がなく過ぎていく。独身でも金銭的な余裕があればいきなり家を建てるという選択をすることもできるけど、暖かい家庭があってこその家だと考えるとただの物質的な家を手に入れても虚しい気がする。また彼氏がいても相手に結婚する気がまだなくてプロポーズ待ちというパターンもあれば、順調に結婚というステップまで進んでもなかなか子どもを授かれないという場合もあるようだ。ファーストステップを乗り越えたからといってそのあとはエスカレーターでびゅーんと簡単に段差を乗り越えられるわけではない。(中にはそういう人もいるけど。)いろいろなステップでみんなそれぞれロッククライミングのように必死に食らいついて次のステップへ進もうとしている。どのステップも簡単に進めるわけではない。平らな世界から友人たちを見上げていることは心の葛藤があるけれど、ステップを登る苦悩がなくそれは楽なのかもしれない。でもこの楽な状況に満足してもいいのだろうか、20代の終わりはすぐそこまで迫っている。

 

 過ぎ去った20代を振り返って思うことは『大学生のうちに結婚相手を見つけておくこと』と『アイクリームは早くから塗っておくこと』だ。第一次結婚ラッシュで結婚できている友人たちの多くは大学生から付き合っている。社会人になって運命の人に出会える人も少なからずいるが、多くの戦友たちは日々合コンという戦場で出会いを求めている。学生時代の純粋な気持ちはどこへやら、収入や社会的地位で優良物件かどうかを判断するようになる。『この人が好きだからずっと一緒にいたいから結婚する』のではなく、『結婚するならこの人でいいか』という目的先行の人選びになる。後付けで好きになる理由を見つけなくてはならない。 

 

 いま思うことは、そこそこの大学入っておけば周りはみんな将来そこそこの企業に勤められる人たちばかりだ。社会へ出てから催される合コンや街コン、婚活パーティー(条件のないもの)ではそこそこのスペックを持ち合わせた人たちと容易に出会うことはできない。しかも純粋な気持ちでなんて不可能に近い。何かしら邪心を抱えている。若いうちに純粋な気持ちがあるうちに恋をして、この人と一緒にいたいから結婚をするができるように学生時代に努力することをお薦めしたい。

 

 残念ながら彼女も私も過ぎ去りし20代をいまさらどうにもできない。そう、いま目を向けなくてはならないのはもうすぐそこまできている30代だ。輝かしい30代を、39歳のときに振り返ってこの10年は充実していたねと言い切れるように今から何かはじめなくては。結婚したいから相手を見つけるのか、結婚したいと思える相手が見つかったら結婚するのかで今後の生き方も変わってくると思う。一応、結婚相談所は20代のうちに登録してみようか。独身で生きていくと覚悟するのはまだ早いのか、もうそのつもりで生きていく準備をしたほうがいいのだろうか。平らな道でみんなのロッククライミングを見上げていたつもりだったけれど、実は自分が一番不安定だった。足元はひび割れていて立っていることすら危うい。ステップアップした友人たちが心配して見下ろしてくれているかもしれない。どんな道であれ生きるのは楽なことじゃないと悟った。未来を決めるのは今の自分だ。たとえ足元がどんなに不安定でも、未来の自分のために賢明な選択をして地盤を固めなくてはならない。逃げと言われるかもしれないけど、できるのなら何もしないという選択をしたい。楽に生きたい。残された時間を精一杯悩もう。おそれることなかれ、30。

Lonely

 じょんひょんの小品集が発売された。大好きな『따뜻한 겨울 (暖かい冬)』と『1000』が収録されていた。すでに公開されたものに手が加わったため聴きなれない違和感があったり、アレンジにより聴きやすくなったりと、じっくりと何度も聴きたくなる期待通りのアルバムだった。

JONGHYUN 종현 'Lonely (Feat. 태연)' MV - YouTube

 さてさて、表題曲はテヨンさんとコラボのLonely。とても聴いてて心地の良い曲。四季でアルバムが構成されているが、まさに春にぴったりな音色。淡いピンク色に包まれる気持ちになる。欲を言えば4月上旬の桜満開で新生活が始まるよっていう漠然とした不安におそわれるタイミングで聴きたかった。努力しなくても不安になる4月上旬は毎年自然と訪れるので来年はLonelyをたくさん聴いて淡いピンク色の世界に包まれて守られたい。

 

  歌詞は一言でいうと男女のすれ違い。お互いを大切に思うあまり疲れちゃったのかな。(とっても雑な解釈)全体の世界観よりも、個人的には歌い出しの2行がお気に入り。

 미안해 내 탓이야
고마워 덕분이야
ごめんね 私のせいだよ
ありがとう あなたのおかげだよ

 『ごめんね』の後に『私のせい』を、『ありがとう』の後に『あなたのおかげ』を持ってくるあたりさすがだなと。当たり前すぎて敢えて特筆することでもないかもしれない。でも当たり前を上手に文字にできるじょんひょんが好き。 歌詞全体としてはこの言葉を否定しているのかもしれないけど、わたしは好き。

 人間誰しもうまくいったことは自分の手柄にして、失敗したときは人のせいにしがちだ。残念ながら私たちの住まう世界は私利私欲に満ちた汚らわしいギトギトした世界だ。『ごめんね、私のせいだよ  ありがとう、あなたのおかげだよ』って気持ちをいつも心に留めておきたい。そうしたら、ギトギトした世界が少しは浄化されて美しくなる気がする。(自分は絶対悪くないのに…という理不尽なときももちろんあるけど)

 ひとりで生きてるわけじゃないから、色々な人に感謝して謙虚に振る舞わなきゃなって自己啓発書を読んだ後みたいな気持ちになる言葉。好き♡

투명우산(Don't Let Me Go)

 [HOT] SHINee - Don`t Let Me Go, 샤이니 - 투명 우산 Show Music core 20161022 - YouTube

随分前に発売されたSHINeeさんの韓国正規アルバム、1of1。このアルバムの中でわたしの一番好きな曲。おにゅさんもテミンさんもお気に入りの曲。この曲の何にそんなに惹かれるのか、じっくり分析してみようと思う。

 

 まず気になったのはパート割。SHINeeさんのたいていの曲は歌詞カード2行くらいを歌ったら次の人という割振りが多い。しかし今回は1人1パート。音域ごとに人が変わる。おにゅさん以外は掛け合いを除いて一度登場したらもう出てこない。なぜそのようなパート割になったのかはわからないけれども、せわしなく移り変わるよりは心地よく聴いていられる気がする。個々がそれだけのパートを任せられるだけの歌唱力を持ち合わせているからできるのだろう。さすが、SHINeeさん♡

 

 次にそのパート割を詳しく見ていこうと思う。

歌い出しはおにゅさんの地声から。SHINeeさんの中で低い声が出せるのは誰だろうと考えたとき、ミノが思い浮かぶかもしれない。でも実はおにゅさんも低音を得意としている。勝手ながらにおにゅさんの声が一番持ち味を出せる音域は、地声と裏声の間のギリギリ地声のところであると思っている。この曲では残念ながらその音域は登場しないようだ。この曲に限ってはおにゅさんは普通に歌ってる気がする。普通とは、とにかく地声。喉で歌っている。鼻に響かせていない。みんなが真似できるような技術を必要としない歌い方。(でも決して真似できない声) おにゅさんにしてはぶっきらぼうな歌い方。大衆向けの曲なのかなと思わせられる。

次に登場するのがテミンさん。一気に音域が高くなる。人が変わるからさほど突拍子もない感じはしないが、極端に変化する感じ。私はテミンさんの声はいい意味で不安定だと思っている。中性的で脆く儚くて。毎回違う姿を見せてくれる。この声を凡人が真似して出すのはなかなか難しいことだと思う。テミンさんのパートによる音域の変化と声質によって一気に誰にでも歌えない曲になった。

そしてサビ。テミンさんのパートが嘘のようにまた低音域に戻ってきた。SHINeeさんにしては珍しく地声で歌う低めのサビ。ミノの主旋律の活躍ぶりが一際目立つ。これまであまりサビについてじっくり考えたことがなかったので、これまでの傾向と比較することができないのだが。サビは特にハモる訳ではなく、低音と高音にわかれて1オクターブの差をつけて歌っている。もしも1オクターブの差がなかったら低音だけになって単調な曲になっていたと思われる。何度となく聞いているのだけども、いまいちパート分担がわからない。低音はミノの声がよく聞こえる。高音はじょんひょんがおそらく担当しているようだ。

そしてミノのラップ。私はラップについては全くわからないから、なにも言えないけども。音域は始まりのおにゅさんと同じくらいの低音域。

 テミンさんと同じようにじょんひょんの高音域。SHINeeさんでここまでじょんひょんを出し惜しみした曲が過去にあっただろうか。そういった意味でも新しいと思う。裏声と地声と絶妙な使い方がたまらない。

 再びサビ。1度目のサビと歌詞も歌い方にも変化はないシンプルな展開。

 そしてキーくんのわざと口を大きく動かしてやや遅れ気味にするラップ。私は先にもいったように、ラップは全然わからない。けれどこのキーくんのいつもと違う歌い方をしているように感じた。すごく癖のある歌い方には何かしら意味がありそうだ。

最後のサビはSHINeeさんの個人戦。5人全員で繰り広げるアドリブ大会。

(なんて尻すぼみなんだ…後半雑すぎる…笑)

 

 大した知識を持ち合わせる訳でもなく、素人なりに感覚だけで分析してみた。わかったことはパートで音域が大きく変わり、交互に低音域と高音域が登場してくる。もしかしたら低音を男性、高音を女性が歌うようなデュエット曲として作られたのかなと思った。そしたらなんと、いつかのラジオでミノとおにゅさんの2人のデュエット曲の予定だったと発言していた。2人で歌う構成というところは正解だった!(ただの自己満♡) その場合ならミノが低音域だろうから、じょんひょんやテミンさんが歌っている高音域をおにゅさんが担当していたのかもしれない。デュエットバージョンも是非聴きたい。

 

 この曲ってどんなジャンルに分類されるのかわからないけれど、わりと一般受けする曲だと思う。途中の高音域は難しいけれども、サビは歌いやすいはずだ。SHINeeさんにしてはかなり大衆向きの曲だ。もしかしたらケツメイシさんのさくらが日ごろラップを耳にしない人にも聞かれたように、K-POPなんて聞かないよって人に聞いてもらえる可能性を秘めてる曲だと希望も込めて私は思う。

 

  テミンさんやじょんひょんの裏声パートはそっと脇に置いておくとして、凡人にとってのサビの歌いやすさクリアしていると思う。問題は歌詞だ。SHINeeさんの韓国語曲を日本語にするとき、空耳から文字を起こして歌詞を作るという工程をどこかのインタビューで目にした。『やはり…笑』と思った。『アラワルン』なんて言葉は日本語から作り出すことできないもの。歌詞に意味なんて求めてないんだろうなとつくづく思った。いまではこの空耳工程が定番化していてそこそこのクオリティの作品はできてるんだけど、ファンじゃない人が聞いたときには何を言ってるのかさっぱりわからない、メッセージ性の無い曲になりがちだ。ファンでもわからないもん。日常会話で使われないような単語をそこそこのテンポで聞いたところでそりゃあわかるわけがない。韓国語曲を日本語にするのなら、空耳を辞めてそろそろ真剣に歌詞を書くことに向き合ってみてもいい時期じゃないのかなと思う。あの日本語で果たして満足していいのだろうか。ファンは歌詞の内容なんて求めてないと思われてしまうかもしれないけど、もっとターゲットを広げて考えてみたら必要な選択だと思う。(たぶん文字数的にスーパー難しいんだろうね、でも)進化し続けるSHINeeさんだからこそ、現状で満足して欲しくない。

 

 どうかこの透明傘に韓国語歌詞の世界観を残したまま素敵な日本語歌詞をつけていただきたい。ビニール傘なんていわせない素敵な世界を繰り広げてほしい。DL限定販売なんてしてみたらどうかな。

 そしたらもっと売れると思うんだ、SHINeeさん♡

アンプラグドメドレー

 4月に入りやっと私のSHINee World 2017〜FIVE〜が初日を迎えた。1月末の初日からネタバレを見ないようにみないようにみないように細心の注意を払って生きてきたのに、うっかりレポをひとつ読んでしまった。いったい私は何とそんなに戦っていたのかわからなくなり、過去のレポを遡って読み漁ってしまった。(これだから冬の日本海に攻め込めばよかったと後悔) どこを切り取っても可愛くて愛おしい。はやく!はやく!!生でみたい聴きたいと思い、コンサート当日を迎えた。

 簡単な感想は、わたし今回のFIVE好き!!!つなぎの映像が相変わらずストーリー性がないのとか、 JOJOはいつになったら日本語フルバージョンを聴かせてくれるのとか、Stand by Meのウォ↗︎オ→オ↘︎はなくなっちゃったのとか、Replayのじょんひょんの♪なにをしてもぉ〜をちゃんと歌わせてあげてとか… 個人的に好きな所がライブ用のアレンジによって割愛されてしまったのは残念だけれどそれは仕方がない。気になるところを差し引いても、また見たいと思える素晴らしいコンサートだった。

 数え方にもよるけれど私の感覚ではSMのコンサートはアンコール含めて33〜35曲を披露することが多い。そもそも韓国の曲が4分弱なので間奏を2回繰り返したりダンスブレイクして尺を延ばしてもそこまで長くならず、曲数は増える傾向にある。曲数が増えればやはりリップシンクの回数も増えて、おにゅさんの必殺技『吸いながら歌う』を拝見する機会も増えるのでそれはそれで良いのだけども♡SHINeeさんの歌の実力を思うとぜひぜひコンサートでは生歌をたくさん聴かせてほしいと思ってしまう。

 今回のFIVEは30曲をきるセトリであった。つまりは量より質!!!これまでのコンサートではヘッドセットの時は歌っていないという印象が強かったけど、今回はきちんと歌っていることが多かった!アイドルらしい見せ場はもちろんあるけれど、自称コンテンポラリーバンドらしく5人みんなが歌えるんだという実力をバラードじゃないところで見せつけてくる。SHINeeさんがけっこう本気で日本活動に勝負しにきてると私は感じた。

 

個人的に特に感動したところ
  • Sweet Surprise をまた披露

実は結構この曲が好きで去年のツアーでは楽しみにしていた。でもあのオンナといちゃつく映像のおかげで歌ってる最中の黄色い声援が激しくてイマイチ歌声が聴けなくて残念だった。去年のアルバムの何でもない曲をまさか今年のセトリに入れてくるとは思いもしなかった。今年は静かにファルセットを堪能できてとても満足。ステージの床に座るSHINeeさんがどうやら私は大好物。

  • お遊戯の時間がなくなった

かわいいSHINeeさんがみえる楽しい時間と素直に受け入れればいいんだろうけど…私ひねくれ者ですし、そんな状況をわざわざ作らなくたって十分可愛いよって思っていたから今回このお遊戯がなくなってとても嬉しい。もともと甘くて美味しいイチゴに練乳をかけるかのように可愛いの過剰摂取は求めているものとは違っていた。そのままが一番。やっと興味のない友だちにSHINeeさんのDVDを観せても恥ずかしくない気がする。

  • Dream girlの魅せ方

ドリゴルといえばマイクパフォーマンス。前からも横からも後ろからもどこからみても楽しめるパフォーマンスなんだけどマイクがあるから定位置でしかできないと思っていた。そんなドリゴルをメインステージから始めてセンターではステージで終わらせるのには驚いた。スタッフさんが運び屋な瞬間もあるけど、もとの振付をおろそかにしないで活かしながら移動してるのがとにかく斬新だった。

  •  いわずもがなUnplugged Medley

この文字だけはレポで何度もお目にかかったけど、何をどのように歌うかまで把握していなかった。前奏のJulietteのギターが聴こえてきて椅子に座るSHINeeさんをみた瞬間、みたことのない新しいSHINeeさんの姿に期待が膨らんだ。これこそが生バンドの正しい使い方だった。キーくんの♪song for my じゅりっえっ〜 が艶やか。続いて酸素のような君。2012年の池ポチャ演出以来お目にかかっていなかったので、もはや捨て曲になっていたと思っていた。まさかこんな素敵な大人なアレンジになって久しぶりに聴けるなんて。ミノの♪君さえいれば〜ハァア〜〜に感動。そしてじょんひょんのアドリブ。こってり重たい初期のじょんひょんのMJを意識した歌い方がたまらない♡久々にこってりな歌声を日本で聞いた気がした。つぎにわりとシンプルにHello。ミノがユノォユノォフォオってアドリブしてるのに感動。ここまで韓国でカムバするときの活動曲、すなわちダンス曲(りのさん振付)をあえてのアレンジで魅せてくるあたり、本気だなと。最後のDowntown Baby。いきなりピアノの間奏が始まって、てみんさんが♪ねぇ〜って歌い始めるのはズルい。♪きみに〜(てみんさん)きみに〜(おにゅさん)きみに〜(3人目だれ?)って重ねてくるのズルい。ピアノ大好きな私としては♪だれひとり〜のあとのチョロロン(レレ♯ミかな?)って入る伴奏がゾクゾクするというのと、レポを拝見する限りこのピアノの間奏が色々なバージョンがあるらしく、ピアノを聴くだけのためにこのFIVEをみにいきたいと思った。実をいえば安っぽい音がするDTBずっと好きじゃなくて、これまで全然フゥ↗︎フゥ↗︎できなかった。でもこの時ばかりは全力でフゥ↗︎フゥ↗︎してしまった。最後の〆はおにゅさんのアドリブ。自由で余裕を感じる。

全体を通してみんなが別のパートを歌ってハモっていて、これがコンテンポラリーバンドなんだなと体感した。低音はミノが歌ってるのは確実なんだけど、間を歌ってるのがだれなのか全然わからなくて音を分解して聴きたくなった。じょんひょんがメインじゃないときの隠れ方が上手すぎて見つけられない。きっとキーくんが真ん中あたりを絶妙に保ってくれてるんだろうなと(勝手に予想)。

 本来、音楽ってこういうものだよなって思わせてもらえた。歌ってる本人たちが音楽を心から楽しんでいるのはもちろん、シャバンも持ち合わせてるスキルを目立ちすぎない程度に見せつけてきて、しゃうぉるもみてて聞いてて楽しい。その場に居合わせなきゃ体感できない、DVDでもBlu-rayでもハイレゾでも再現できない、そのとき限りの空気感がたまらない。こんなことできるアイドルそうそういないと思うんだ。だからSHINeeさんが好き♡

心から音楽を楽しませてくれてありがとう、SHINeeさん♡

 

 

 

(SHINeeさんがみんなおじさんになって踊れなくなった時でいいから、Unplugged Medleyのようなスタンスのみでいつかホールコンサートやってほしい、切実に♡

しゅんちゃんとあっちゃん

しばらく連絡を取り合っていなかった友人から突然連絡が来ることがある。最近はもっぱら『結婚することになりました』という報告が多いせいでとりあえず読む前に身構える。

 しかし先日連絡が来た友人は、結婚も出産も済んで改めて報告するようなことが思い当たらなかった。何事だろうと思ってみてみると、『俊ちゃんとあっちゃんの10年ぶりの歌声を聴いて引くくらい号泣した。』という報告だった。

  そう、彼女と私は中•高校生のときにEXILEのファンであったのだ。部屋にポスターを貼ったり、定期テストが終わって余った時間に問題用紙の余白にいろいろなレタリングでEXILEと書いたり、覚えた歌詞を書き起こしたり、MDウォークマンEXILEのステッカーを貼り付けるくらい大好きだった。青春そのものであった。

 そして人生で初めてファンになった存在だった。『ファンになる』という定義は人それぞれだと思う。コンサートに行くことだったり、CDを買うことだったり、ファンクラブに入会することだったり、人それぞれものさしがあるだろう。私の場合はわざわざ番組出演情報を事前に仕入れて録画してまで見る存在になった時に、あぁファンだなと実感する。たまたま歌番組で見かけるのでなく、今日出演することがわかっているからわざわざみるのである。初めてそんな存在になったのがEXILEだったのだ。

 突然の俊ちゃんの脱退になにもできないのはわかってるけど、とりあえず集ろうとなって集まったけど本当になにもできなかった。グループは永遠じゃないんだってことを教えてくれたのもEXILEだった。

 彼女との繋がりも結局のところEXILEがあったからであり、その後は共通の友達と会うときくらいしか会わなくなってしまった。人との繋がりは共通のものがないと続かないということもEXILEを通して学んだ。

 逆に、今回また俊ちゃんとあっちゃんが共演してくれたおかげで疎遠だった彼女とまた近づくことができた。人はきっかけさえあれば簡単にあの頃の気持ちを取り戻せるようだ。

 

 俊ちゃんとあっちゃんが歌ったあの瞬間に東京ドームになぜ自分はいなかったんだろうと後悔したけども、映像化してくれて聴くことができたからまぁよかったかなと思うことにしよう。あの頃の曲はどれも素敵な曲ばかりで、数年ぶりに聞いたのに歌える自分に驚くばかり。二度と2人が並ぶ姿を見ることはないだろうと思っていたのに、それが実現した。生きている限りなにが起こるかわからない。そんなことを教えてくれたのもEXILE

ゴールデンレトリバーを飼ってる男性

 今年の目標が『年内に結婚相手を見つけること』である友人によって畳み掛けるように飲み会に誘われる2017年冬。あいにく私も友人も今のところ結果は伴っていない。人生の先輩たちは口を揃えて『出会いの数が多いほど結婚へは近づける』というが、下品に言い換えれば要するに『数打ちゃ当たる』らしい。

 すっかりヲタク沼に浸かっていた私にとって『人を好きになる』ことはとても簡単だ。けれど好きといっても『ファンになる』ことであり、付き合うとか結婚となるとそれは別物になって敷居が一気に高くなってしまう。そもそも私自身に難ありなので、数をこなしたところで結果は絶望的だ。加えて(おこがましいにもほどがあるけども)毎度繰り返される自己紹介や質問にそろそろうんざり。この先もただお金と時間だけが浪費され、無駄にカロリーを摂取する予感しかしない。

 そんなとき催された飲み会で出会った男性陣が『腹割って話さない?』と切り込んできたのだ。恋人対象から外される宣言とも受け取れたが、本音が聞けて有意義な市場調査ができるのではないかと思ったら一気に節電モードからやる気スイッチが入った。

  •  『好きなタイプは?』に対して『一緒にいてラクな人』と答えたら、付き合う前にはわかんないじゃん。もっと具体的な答えを求めてる。
  • 定番だけど女性の髪型の変化にはドキッとする。たまにヘアアレンジしてると嬉しくなる。
  • なんだかんだ男性はみんな大政絢山本美月が好き。
  • バレンタインのチョコは高くなくていい。安くても包装を頑張ってると嬉しい。

 やる気スイッチ入れたのに、思いのほか収穫のない市場調査となってしまった。この程度のことなら、うすうす聞かなくても知ってました…

 物足りなかった私は『好きなタイプは?』の解答方法について、家に帰ってから結構考えてみた。そういえば学生時代に導き出した模範解答は『硬派な人』だった。優しい、まじめ、チャラくないなどいい要素を全て含んだ魔法の言葉だと信じ込んでいた。年齢を重ねても相変わらずこれは理想として変わらないけども、ふと思った。『ゴールデンレトリバーを飼ってる男性』が私は好き。猫ブームの中で犬。どんどん小型化していく中であえての大型犬。そういうちょっと変わった人が好き。

(CNのジョンシンさんとシンバが好きってだけの話♡

우울시계(憂鬱時計)

じょんひょんが作ってIUさんが歌った曲。当時有名な歌手に自作曲を提供するだけあって結構大きく取り上げられ、音源が公開されてすぐに聴いたと記憶している。ずっと単調なメロディの繰り返しで初めて聞いたときは『IUさん歌うまーい』ってくらいの小学生のような感想しかなかった。(IUさんが欲しいっていった曲なんだから、そりゃいいに決まってるのに、、、当時の私は何を聴いていたのだろうか、、、もったいない!!!

 

先月のじょんひょんのソロコンサートで(ライブビューイングだけど)じょんひょんバージョンの憂鬱時計を聴いてから気になって気になって仕方がない曲になった。コンサートでの、ハンドベルを鳴らしてね、持ってない人は手拍子してみんなで参加してねって演出がスクリーンのこちら側も置いてけぼりにならず、ほっこりした気持ちになったからかもしれない。無関心だった曲から可愛い曲だなぁと印象が大きく変わった。とにかく歌っているときのじょんひょんが可愛いくて甘いの!!!何かに取り憑かれたセクシーじょんひょんだったのが嘘みたいに甘くて優しいの♡ コンサートが終わってから憂鬱時計をたくさん聴いた。年末年始もこの曲ばかり聴いていた。歌詞もじっくり読んでみた。聴けば聴くほど面白くてかわいくてどんどん好きになった。私は憂鬱時計のどこにそんなに魅了されたのか、(誰も興味ないと思うけど)たくさんの魅力を少しでもお伝えしたいと思う。

 

①憂鬱“우울”というワード

歌い出しいきなりの우울하다(ううらだ)。単に発音がかわいい。音にのってなくても、単語だけが可愛さを持っている。これは私の妄想だけど、(どこかでじょんひょんが言及してたかもしれないけど)じょんひょんって言葉そのものが持つ音を大切にしていると思う。따뜻한 겨울(暖かい冬)という曲でも『따뜻한(暖かい)』の発音が綺麗でかわいさを持っているような気がする。言葉そのものが持つ音って韻を踏むのと同じで歌にするとき、とても重要なのかなと思う。とにかく言葉の選択が素敵!!!

 

②時計の音

音源を聴くと時計の針の音が聴こえてくる。タイトルが憂鬱時計だけにありがちな演出なんだろうけど、邪魔せずに曲に馴染んでいてどことなく温かさを感じる。当然のことなのだけど、秒針って1秒ごとに刻まれるからこの曲の秒数と秒針の音が重なってるのが目で見てて面白い。

秒数を数えたいのに時計がなくて憂鬱時計が聞ける状況なら(そんな状況に遭遇することはなかなかないだろうなぁ〜笑)憂鬱時計が時計がわりになる、とっても便利だなぁ。(棒読み)

 

③歌詞での擬態語、擬音語

우울시계가 째깍째깍(憂鬱時計がチクタク)

휙휙 지나 가 (さーっと過ぎて行く)

 あいにく日本語以外の言語が全然できないので外国語にどのくらい擬態語擬音語があるのかわからないけど、あまり歌詞で見たことないから普通に面白いなと思った。『時計がチクタク』は大きなのっぽの古時計で聞いたことがあったけど、『さーっと過ぎる』って歌詞に遭遇したことはないと思う。あえてこういう表現をいれて可愛さを演出してるのかなと思う。

 

④突然の抽象表現

날카로운 감정의 기억이  무뎌진다 무뎌져

鋭い感情の記憶が鈍る 鈍るよ

네모가 닳아져 원이 돼

 四角が擦り減って円になる

 

 ここの歌詞がこの曲で一番好きなフレーズ。あ、じょんひょんの歌詞だって思うところ。具体的な憂鬱を並べてとても想像しやすかったのにここへきて『ん?』って首を傾げたくなる。感覚的なものを文字にするのが本当に上手。『鋭い記憶が鈍くなる』っていう言い回し、『忘れる、覚えている』では表しきれない曖昧さが出ていると思う。『鋭い→鈍い』を『四角→円』って置き換えるの、当たり前のことを言ってるだけなんだけど表現力がとっっても豊か!!!

 

⑤何もかもぜーんぶ憂鬱だ

 歌詞を読み進めると、いま憂鬱だとはっきり感じているけど、一時的なもので時間が経てばやがて忘れられるといいつつも、憂鬱だと鋭く感じていたのが鈍くなるのは憂鬱だといっている。憂鬱な気分は無くなってほしいの?そのままがいいの?どっちなの?!! 別に白黒はっきりさせることがこの歌のテーマじゃないから、このボヤボヤ感が最大のこの曲のテーマなんだろうなと思う。憂鬱なときって何もかもぜーんぶ憂鬱。憂鬱がなくなればいいのにと思うことが憂鬱なんだ、みんなそんなもんだよ、と私は解釈。 

 

私の主観で우울시계の魅力を書いてみた。他の人はもっと違った素晴らしい解釈をしているのかもしれない。本当のところは作ったじょんひょんにしかわからない。でも、もしかしたらこうなのかな?あれじゃないのかな?と完成した作品を様々な角度からじっくり触れることで作り手の思いに少しだけ近づけるかもしれない。

じょんひょんの曲は私の中では直感で好きな曲とあまりそうでない曲に分かれる。そして好きな曲を聴きこむ。けれども、直感であまり好きでないと判断した曲たちにも実は好きになる要素がたくさん隠れていると思った。作り手が思いを込めて1つ1つ作った曲たちをきちんと時間をかけてじっくり聴きたいなと改めて思わされる一曲だった。