好きなもの、好きなこと

好きを言葉にする。残念なアラサー。

あえて薄着をする

 かつてないほど腫れ上がったまぶたなのに平静を装って普段と変わらないふりをしていつも通りを過ごしている。でも胸が不意に苦しくなる。もう何が悲しいかわからない。この気持ちを表現するにふさわしい言葉が見つからない。ただ涙が終わらない。

 

 彼をよく知らない人たちが大騒ぎしている。私だってよく知らないよ。見てきたのはほんの一部だったから。でも20代を彼らとともに過ごしたんだ。聖なる夜を彼氏じゃなくて彼らと何度も過ごしたんだ。

 

 何でもかんでも起きたことを知っている言葉やありふれた現象に当てはめようとしないでよ。そうやって意味のない名前をつけてカテゴライズすると安心するからって自分の知っている世界のひとつにしないでよ。

『なぜ』に必ずしも的確な理由なんてないこともある。簡単に一つに絞ろうとしないでよ。直感的にわかりやすい『〜のせいで』を作らないでよ。関係のない人たちが興味をそそられるような派手で下品な言葉を理由にしないでよ。

 後追い後追い言わないでほしいな。生きる人は生きるし後を追う人は追うんだよ。それほどの判断を誤る人はそんな誰が発したかわからない拡散希望された言葉で引き止められやしないんだから。しょうもない目立ちたい欲のためにこのことを使わないで。すぐに消してくれないかな。

  頼むからそっとしておいてくれないかな。ありふれた定型文を並べてることにすら気づいてないでしょ。たとえSNSで盛り上がってもとても局所的なことなんだよ。このご時世、趣味は多様化していてみんなが好き、みんなが気になることなんてないからさ。これまで知らなかった人が知らなくていいんだから。知らないままでいいから。予測変換で出てくるようなお悔やみ申し上げますならいらないから。それはただの文字の羅列でしかなくて言葉として機能していないから。彼はね、素敵な言葉を選んで美しく表現するのが上手な人なんだ。たとえ間違えたとしてもそれを素直に認めて直そうとする人なんだよ。だからこそ丁寧に言葉を選ばなきゃいけない。

 

 

 あえて薄着をする。寒さが身にしみる。そして私は実感する。生きてるんだって。

ついていけない若者言葉

 テレビやネットでたまにやっている【若者たちに流行っている◯◯ランキング】をのぞいてみると、『そんなのわたしの周りでは流行ってない』なんてことがよくある。これを友人と話していてふと気がついた。そう、私たちはもう世間一般でいう【若者】ではないのだ。多分あれは高校生〜大学生までのことをいっていたのだ。ひとまわり近く年齢が違えばそりゃあ流行ってるものなんて大きく違うに決まっている。十分若いつもりでいたのに知らず知らずのうちに【若者】という枠組みから遠く離れたところに来てしまったようだ。

 

 他のところでももう【若者】ではないのだなと感じることがある。それはTwitterだ。 私はそこまでヘビーユーザーではないが、趣味の情報収集がてら時間があるときにちらちらとのぞいている。少しご無沙汰していたせいか久しぶりにTwitterをのぞいてみると、最近のつぶやきで目にするものに気になる言い回しがある。まだ他にもあるかもしれないが、よく見かける4つを私なりに解釈・評価してみた。

(※個人の意見です。若者についていけない嫉妬心を全面に出しております。何様だって話です。

 

『え、まって…』という書き出し

なにをそんなに誰に待って欲しいんだろうと思うくらいやたら『まって』といっている。かなりの頻度でまっての前に『え』が入ってるようだ。自分の心の整理をしてから書き込めばこの『まって』は必要なくなるだろうし、文字数が限られているのに3文字〜6文字を無駄に消費するのはもったないなと思う。けれどもこれをつけると焦燥感と興奮が伝わるのはちょっとわかる気がする。

 

『全私が泣いた、全私が死んだ』

これは映画の宣伝でよくみる『全米が泣いた』からきてるのかなぁ。私が果たして複数あるのだろうかと疑問。もしかしたらいま流行の細胞レベルの話をしているのだろうか。ここから派生して【全】のあとに固有名詞をつける使い方もあるようだ。『全◯◯に感謝』といったように使うらしい。けれども相当感動したりショックだったということが短文に凝縮されているから、ものに出来れば分かりやすい表現なのかもしれない。

 

最&高

最高と入力した後にカーソルを最と高の間に持ってきて&をいれるのって大変だなと初めて入力して気づいたのであった。たしかきゃりーぱみゅぱみゅさんがこのタイトルの曲を歌っていたような(不確かな情報)。もともと流行っていた言葉が歌になったのか、歌が流行って言葉が日常使いされるようになったのか、どちらだろうか。最高よりももっと上の状態を表しているのだろうか。やばいに変わる言葉なのだろうか。疑問ばかりが浮かんで全然使いこなせなさそうだ。

 

やたら【み】をつける

(例1)やばみ、つらみ、嬉しみ

『明日テスト。つらみ』のように文末で見かける場合もあるし、名詞としても使われいて『嬉しみが伝わる』といったように使われている。これらは形容詞を名詞化しているのだろうか。たしかに『楽しい』『悲しい』の場合では『楽しみ』『悲しみ』という変化は正しい。ところが他の形容詞では【み】は使われない。じゃあ使っちゃえということなのかな。

(例2)古代ローマみがある、CMみがある

この場合は『〜のようだ、〜に似ている』という意味を表している。『面白みがある』といった使い方があるから応用効かせちゃおうってことなのだろうか。

 

とにかく【み】をつければ、今の若者みある使い方になるのだろう、嬉しみ!!!

 

 

 書き言葉の言い回しは少し解釈できたつもりでいるが、これらを使いこなすことは難しいようだ。そうだった…自分はもう【若者】ではなかったのだ。きっと【若者】でくくられていたときは、年上の方々には理解されないような新しい言い回しを無意識に使いこなしていたのだろう。

今思えば、

(笑)→笑→www

へ変化したのを見届けた世代であるのかもしれない。気づかないだけで他にもたくさんの新しい言葉の変化を現役で見届けていたのかもしれない。

 

 新しい言い回しを使いこなせなくてもいいから、せめて相手が言おうとすることを理解できるようにはなりたいと思う。そうしなければ言葉じゃないから。【若者】から外されてしまったけど、新しいことを知ってはいけないわけではない。だからこそ変化についていきたいと思う。頑張ろう、アラサー。

はじめてのレキシ

  あれはいつ頃だっただろうか。関ジャムで特集されているレキシさんをみてまんまとハマってしまった。キャッチーなメロディといっけんふざけたような歌詞にすっかり取り憑かれてしまった。隙あらばyoutubeで検索しては聴いてという日々を過ごした。youtubeに寄せられるコメントによれば、ふざけている歌詞のように思われるけれど実は意味がある奥深いものが多いようだ。平面的な直接的な意味だけでなく、立体的に複数の意味を含んだ歌詞にすっかり魅了された。私こういうのに弱い。

 けーぽ界隈でいうfancamなるものはさすがに日本のバンドではなかろうと思っていたのだが、フェスの定点カメラ?のようなものがいくつか閲覧できた。そこで私はさらに好きになる理由を見つけてしまった。キーボードを演奏していたのが風味堂の渡くんであったのだ。私はもともとピアノが好きなのでピアノマンのいるバンドを好きになる傾向があった。風味堂スキマスイッチなど。しかし活動休止を機に情報を追うのをやめていたので『ここにいたのか!!!』と一方通行の運命の再会を果たしたのであった。

 人が音楽に恋に落ちるのはあっという間だ。いっさいの迷いはなく異常なほどの行動力を発揮する。幸運にもちょうどツアーが開催されるところであった。行かない理由が見当たらない。こうしてデビュー10周年の大御所レキシさんのライブにファン数十日の新参者がお邪魔することになった。

  数年前に物欲をすっかり無くした私であったが、どうしても稲穂(600円)が欲しくて並んでしまった。脳の錯覚(人はこれを恋という)のおかげで待ち時間も苦ではなかった。手にした稲穂は想像よりはるかに長くて丈夫で、カバンからはみ出さずに持ち歩くことは難しかった。食べられるわけでもないのに600円で得られる幸福度はかなり高かった。

 

 そしていよいよライブスタート。オープニングは見たことあるし聞いたことあるけどなんか違う…素晴らしい映像からはじまった。CDで予習したときに絶対に生で聴きたいと思った曲をいくつも聴くことができた。また関ジャムでも取り上げられていた即興演奏というか、脱線というか、アレンジと表現すべきか…いい意味で普通には聴かせてくれなくて足を運ぶ価値のあるライブであることは間違いなかった。アンコールのはじまりもどこかで見たことあるようなないような、聞いたことあるような演出で楽しませてくれた。腹がよじれるほど笑ったのは久しぶりだった。ツアータイトル『不思議の国のレキシと稲穂の妖精たち』を文字通り表現している素晴らしいツアーであった。ツアータイトルってどのアーティストのライブにも必ずあるけども、そこまで意識しない演出であることが多い気がする。不思議の国にいる設定はたまにあやふやになるけど、ここまで徹底してツアータイトルを体現しているのをみたのは初めてだった。

 新参者でも十分楽しめるライブであった。おかわりしたいくらい行って本当によかった。出遅れた10年を取り戻すのはなかなか難しいけど、せめて3年分くらい知識を増やして次回のツアーも参加したい。口では説明できない笑いを経験することをお勧めしたい。

20代を振り返る

 つい先日友人が29歳の誕生日を迎えた。笑えないねといいながら大笑いしていた。25歳になり四捨五入して30なんてやばぁと笑い、26歳になって20代後半を自覚、27歳いよいよ本当のアラサーの仲間入りを果たし、28歳高校を卒業して10年なんだねと言ってみたりして、29歳…アラウンドなんて優しさで包みきれない直接的な30がもうすぐそこ!!!

 

 誕生日を迎えた彼女は結婚願望が強い、そしてなかなかモテる。でもどうやら今のところは結婚相手はいなくて、結婚というゴールはまだ先のようだ。彼女と私は状況が同じようで違うけど、同じなことが多いから同じと錯覚して安心感を得られる。

 

  彼女が29歳の誕生日を迎えるにあたり、20代を振り返ってみた。大学生の頃の女子会は気になる人がいるかいないか、イケメンがいるかいないか、彼氏はできたかで盛り上がっていた。社会人になり環境が変わっても、気になる人はできたか、彼氏はできたかで相変わらず盛り上がっていた。社会人になって数年が経ち、第一次結婚ラッシュがやってきた。『これ以上付き合っていてもなにも変わらないから結婚することにした』という報告を受け、結婚とはそんなものなのかとイメージを覆された。やがて集まるきっかけが結婚式や余興、結婚祝いの打ち合わせなどに変わっていった。そして結婚した友人宅(借家)に遊びに行き母子手帳が転がっているのを発見して『あ、実は妊娠したの』と聞かされた20代後半。これまではオシャレな居酒屋カフェで夜に集まっていたのに、やがて子連れで入れる座敷のあるお店でランチを食べるようになった。そして現在、『家を建てたから遊びにおいでよ』といった理由で集まっている。みんなどんどん着々とステップアップしていく。つきあう→プロポーズ→同居→結婚→妊娠・出産→家を建てるといった具合だ。(先に妊娠パターンもあるけどね)

 

 まだ一段も登っていない彼女と私は、階段をのぼり遥か上にいる友人たちを見上げている。まるでジャンケンして勝った人がどんどん階段を登っていけるグリコゲームのようにずっと負け続け、友人たちが登って勝ち進んでいくのを見届けている気持ちになる。人生に勝ち負けなんてないのはわかっている。けれどもなんとも言えない焦燥感、不安感と少しの劣等感。

 

 20代は人生の節目がたくさん訪れるようだ。けれどそれはファーストステップ、『彼氏ができる(つきあう)』というスタートを切らないとご縁がなく過ぎていく。独身でも金銭的な余裕があればいきなり家を建てるという選択をすることもできるけど、暖かい家庭があってこその家だと考えるとただの物質的な家を手に入れても虚しい気がする。また彼氏がいても相手に結婚する気がまだなくてプロポーズ待ちというパターンもあれば、順調に結婚というステップまで進んでもなかなか子どもを授かれないという場合もあるようだ。ファーストステップを乗り越えたからといってそのあとはエスカレーターでびゅーんと簡単に段差を乗り越えられるわけではない。(中にはそういう人もいるけど。)いろいろなステップでみんなそれぞれロッククライミングのように必死に食らいついて次のステップへ進もうとしている。どのステップも簡単に進めるわけではない。平らな世界から友人たちを見上げていることは心の葛藤があるけれど、ステップを登る苦悩がなくそれは楽なのかもしれない。でもこの楽な状況に満足してもいいのだろうか、20代の終わりはすぐそこまで迫っている。

 

 過ぎ去った20代を振り返って思うことは『大学生のうちに結婚相手を見つけておくこと』と『アイクリームは早くから塗っておくこと』だ。第一次結婚ラッシュで結婚できている友人たちの多くは大学生から付き合っている。社会人になって運命の人に出会える人も少なからずいるが、多くの戦友たちは日々合コンという戦場で出会いを求めている。学生時代の純粋な気持ちはどこへやら、収入や社会的地位で優良物件かどうかを判断するようになる。『この人が好きだからずっと一緒にいたいから結婚する』のではなく、『結婚するならこの人でいいか』という目的先行の人選びになる。後付けで好きになる理由を見つけなくてはならない。 

 

 いま思うことは、そこそこの大学入っておけば周りはみんな将来そこそこの企業に勤められる人たちばかりだ。社会へ出てから催される合コンや街コン、婚活パーティー(条件のないもの)ではそこそこのスペックを持ち合わせた人たちと容易に出会うことはできない。しかも純粋な気持ちでなんて不可能に近い。何かしら邪心を抱えている。若いうちに純粋な気持ちがあるうちに恋をして、この人と一緒にいたいから結婚をするができるように学生時代に努力することをお薦めしたい。

 

 残念ながら彼女も私も過ぎ去りし20代をいまさらどうにもできない。そう、いま目を向けなくてはならないのはもうすぐそこまできている30代だ。輝かしい30代を、39歳のときに振り返ってこの10年は充実していたねと言い切れるように今から何かはじめなくては。結婚したいから相手を見つけるのか、結婚したいと思える相手が見つかったら結婚するのかで今後の生き方も変わってくると思う。一応、結婚相談所は20代のうちに登録してみようか。独身で生きていくと覚悟するのはまだ早いのか、もうそのつもりで生きていく準備をしたほうがいいのだろうか。平らな道でみんなのロッククライミングを見上げていたつもりだったけれど、実は自分が一番不安定だった。足元はひび割れていて立っていることすら危うい。ステップアップした友人たちが心配して見下ろしてくれているかもしれない。どんな道であれ生きるのは楽なことじゃないと悟った。未来を決めるのは今の自分だ。たとえ足元がどんなに不安定でも、未来の自分のために賢明な選択をして地盤を固めなくてはならない。逃げと言われるかもしれないけど、できるのなら何もしないという選択をしたい。楽に生きたい。残された時間を精一杯悩もう。おそれることなかれ、30。

Lonely

 じょんひょんの小品集が発売された。大好きな『따뜻한 겨울 (暖かい冬)』と『1000』が収録されていた。すでに公開されたものに手が加わったため聴きなれない違和感があったり、アレンジにより聴きやすくなったりと、じっくりと何度も聴きたくなる期待通りのアルバムだった。

JONGHYUN 종현 'Lonely (Feat. 태연)' MV - YouTube

 さてさて、表題曲はテヨンさんとコラボのLonely。とても聴いてて心地の良い曲。四季でアルバムが構成されているが、まさに春にぴったりな音色。淡いピンク色に包まれる気持ちになる。欲を言えば4月上旬の桜満開で新生活が始まるよっていう漠然とした不安におそわれるタイミングで聴きたかった。努力しなくても不安になる4月上旬は毎年自然と訪れるので来年はLonelyをたくさん聴いて淡いピンク色の世界に包まれて守られたい。

 

  歌詞は一言でいうと男女のすれ違い。お互いを大切に思うあまり疲れちゃったのかな。(とっても雑な解釈)全体の世界観よりも、個人的には歌い出しの2行がお気に入り。

 미안해 내 탓이야
고마워 덕분이야
ごめんね 私のせいだよ
ありがとう あなたのおかげだよ

 『ごめんね』の後に『私のせい』を、『ありがとう』の後に『あなたのおかげ』を持ってくるあたりさすがだなと。当たり前すぎて敢えて特筆することでもないかもしれない。でも当たり前を上手に文字にできるじょんひょんが好き。 歌詞全体としてはこの言葉を否定しているのかもしれないけど、わたしは好き。

 人間誰しもうまくいったことは自分の手柄にして、失敗したときは人のせいにしがちだ。残念ながら私たちの住まう世界は私利私欲に満ちた汚らわしいギトギトした世界だ。『ごめんね、私のせいだよ  ありがとう、あなたのおかげだよ』って気持ちをいつも心に留めておきたい。そうしたら、ギトギトした世界が少しは浄化されて美しくなる気がする。(自分は絶対悪くないのに…という理不尽なときももちろんあるけど)

 ひとりで生きてるわけじゃないから、色々な人に感謝して謙虚に振る舞わなきゃなって自己啓発書を読んだ後みたいな気持ちになる言葉。好き♡

투명우산(Don't Let Me Go)

 [HOT] SHINee - Don`t Let Me Go, 샤이니 - 투명 우산 Show Music core 20161022 - YouTube

随分前に発売されたSHINeeさんの韓国正規アルバム、1of1。このアルバムの中でわたしの一番好きな曲。おにゅさんもテミンさんもお気に入りの曲。この曲の何にそんなに惹かれるのか、じっくり分析してみようと思う。

 

 まず気になったのはパート割。SHINeeさんのたいていの曲は歌詞カード2行くらいを歌ったら次の人という割振りが多い。しかし今回は1人1パート。音域ごとに人が変わる。おにゅさん以外は掛け合いを除いて一度登場したらもう出てこない。なぜそのようなパート割になったのかはわからないけれども、せわしなく移り変わるよりは心地よく聴いていられる気がする。個々がそれだけのパートを任せられるだけの歌唱力を持ち合わせているからできるのだろう。さすが、SHINeeさん♡

 

 次にそのパート割を詳しく見ていこうと思う。

歌い出しはおにゅさんの地声から。SHINeeさんの中で低い声が出せるのは誰だろうと考えたとき、ミノが思い浮かぶかもしれない。でも実はおにゅさんも低音を得意としている。勝手ながらにおにゅさんの声が一番持ち味を出せる音域は、地声と裏声の間のギリギリ地声のところであると思っている。この曲では残念ながらその音域は登場しないようだ。この曲に限ってはおにゅさんは普通に歌ってる気がする。普通とは、とにかく地声。喉で歌っている。鼻に響かせていない。みんなが真似できるような技術を必要としない歌い方。(でも決して真似できない声) おにゅさんにしてはぶっきらぼうな歌い方。大衆向けの曲なのかなと思わせられる。

次に登場するのがテミンさん。一気に音域が高くなる。人が変わるからさほど突拍子もない感じはしないが、極端に変化する感じ。私はテミンさんの声はいい意味で不安定だと思っている。中性的で脆く儚くて。毎回違う姿を見せてくれる。この声を凡人が真似して出すのはなかなか難しいことだと思う。テミンさんのパートによる音域の変化と声質によって一気に誰にでも歌えない曲になった。

そしてサビ。テミンさんのパートが嘘のようにまた低音域に戻ってきた。SHINeeさんにしては珍しく地声で歌う低めのサビ。ミノの主旋律の活躍ぶりが一際目立つ。これまであまりサビについてじっくり考えたことがなかったので、これまでの傾向と比較することができないのだが。サビは特にハモる訳ではなく、低音と高音にわかれて1オクターブの差をつけて歌っている。もしも1オクターブの差がなかったら低音だけになって単調な曲になっていたと思われる。何度となく聞いているのだけども、いまいちパート分担がわからない。低音はミノの声がよく聞こえる。高音はじょんひょんがおそらく担当しているようだ。

そしてミノのラップ。私はラップについては全くわからないから、なにも言えないけども。音域は始まりのおにゅさんと同じくらいの低音域。

 テミンさんと同じようにじょんひょんの高音域。SHINeeさんでここまでじょんひょんを出し惜しみした曲が過去にあっただろうか。そういった意味でも新しいと思う。裏声と地声と絶妙な使い方がたまらない。

 再びサビ。1度目のサビと歌詞も歌い方にも変化はないシンプルな展開。

 そしてキーくんのわざと口を大きく動かしてやや遅れ気味にするラップ。私は先にもいったように、ラップは全然わからない。けれどこのキーくんのいつもと違う歌い方をしているように感じた。すごく癖のある歌い方には何かしら意味がありそうだ。

最後のサビはSHINeeさんの個人戦。5人全員で繰り広げるアドリブ大会。

(なんて尻すぼみなんだ…後半雑すぎる…笑)

 

 大した知識を持ち合わせる訳でもなく、素人なりに感覚だけで分析してみた。わかったことはパートで音域が大きく変わり、交互に低音域と高音域が登場してくる。もしかしたら低音を男性、高音を女性が歌うようなデュエット曲として作られたのかなと思った。そしたらなんと、いつかのラジオでミノとおにゅさんの2人のデュエット曲の予定だったと発言していた。2人で歌う構成というところは正解だった!(ただの自己満♡) その場合ならミノが低音域だろうから、じょんひょんやテミンさんが歌っている高音域をおにゅさんが担当していたのかもしれない。デュエットバージョンも是非聴きたい。

 

 この曲ってどんなジャンルに分類されるのかわからないけれど、わりと一般受けする曲だと思う。途中の高音域は難しいけれども、サビは歌いやすいはずだ。SHINeeさんにしてはかなり大衆向きの曲だ。もしかしたらケツメイシさんのさくらが日ごろラップを耳にしない人にも聞かれたように、K-POPなんて聞かないよって人に聞いてもらえる可能性を秘めてる曲だと希望も込めて私は思う。

 

  テミンさんやじょんひょんの裏声パートはそっと脇に置いておくとして、凡人にとってのサビの歌いやすさクリアしていると思う。問題は歌詞だ。SHINeeさんの韓国語曲を日本語にするとき、空耳から文字を起こして歌詞を作るという工程をどこかのインタビューで目にした。『やはり…笑』と思った。『アラワルン』なんて言葉は日本語から作り出すことできないもの。歌詞に意味なんて求めてないんだろうなとつくづく思った。いまではこの空耳工程が定番化していてそこそこのクオリティの作品はできてるんだけど、ファンじゃない人が聞いたときには何を言ってるのかさっぱりわからない、メッセージ性の無い曲になりがちだ。ファンでもわからないもん。日常会話で使われないような単語をそこそこのテンポで聞いたところでそりゃあわかるわけがない。韓国語曲を日本語にするのなら、空耳を辞めてそろそろ真剣に歌詞を書くことに向き合ってみてもいい時期じゃないのかなと思う。あの日本語で果たして満足していいのだろうか。ファンは歌詞の内容なんて求めてないと思われてしまうかもしれないけど、もっとターゲットを広げて考えてみたら必要な選択だと思う。(たぶん文字数的にスーパー難しいんだろうね、でも)進化し続けるSHINeeさんだからこそ、現状で満足して欲しくない。

 

 どうかこの透明傘に韓国語歌詞の世界観を残したまま素敵な日本語歌詞をつけていただきたい。ビニール傘なんていわせない素敵な世界を繰り広げてほしい。DL限定販売なんてしてみたらどうかな。

 そしたらもっと売れると思うんだ、SHINeeさん♡

アンプラグドメドレー

 4月に入りやっと私のSHINee World 2017〜FIVE〜が初日を迎えた。1月末の初日からネタバレを見ないようにみないようにみないように細心の注意を払って生きてきたのに、うっかりレポをひとつ読んでしまった。いったい私は何とそんなに戦っていたのかわからなくなり、過去のレポを遡って読み漁ってしまった。(これだから冬の日本海に攻め込めばよかったと後悔) どこを切り取っても可愛くて愛おしい。はやく!はやく!!生でみたい聴きたいと思い、コンサート当日を迎えた。

 簡単な感想は、わたし今回のFIVE好き!!!つなぎの映像が相変わらずストーリー性がないのとか、 JOJOはいつになったら日本語フルバージョンを聴かせてくれるのとか、Stand by Meのウォ↗︎オ→オ↘︎はなくなっちゃったのとか、Replayのじょんひょんの♪なにをしてもぉ〜をちゃんと歌わせてあげてとか… 個人的に好きな所がライブ用のアレンジによって割愛されてしまったのは残念だけれどそれは仕方がない。気になるところを差し引いても、また見たいと思える素晴らしいコンサートだった。

 数え方にもよるけれど私の感覚ではSMのコンサートはアンコール含めて33〜35曲を披露することが多い。そもそも韓国の曲が4分弱なので間奏を2回繰り返したりダンスブレイクして尺を延ばしてもそこまで長くならず、曲数は増える傾向にある。曲数が増えればやはりリップシンクの回数も増えて、おにゅさんの必殺技『吸いながら歌う』を拝見する機会も増えるのでそれはそれで良いのだけども♡SHINeeさんの歌の実力を思うとぜひぜひコンサートでは生歌をたくさん聴かせてほしいと思ってしまう。

 今回のFIVEは30曲をきるセトリであった。つまりは量より質!!!これまでのコンサートではヘッドセットの時は歌っていないという印象が強かったけど、今回はきちんと歌っていることが多かった!アイドルらしい見せ場はもちろんあるけれど、自称コンテンポラリーバンドらしく5人みんなが歌えるんだという実力をバラードじゃないところで見せつけてくる。SHINeeさんがけっこう本気で日本活動に勝負しにきてると私は感じた。

 

個人的に特に感動したところ
  • Sweet Surprise をまた披露

実は結構この曲が好きで去年のツアーでは楽しみにしていた。でもあのオンナといちゃつく映像のおかげで歌ってる最中の黄色い声援が激しくてイマイチ歌声が聴けなくて残念だった。去年のアルバムの何でもない曲をまさか今年のセトリに入れてくるとは思いもしなかった。今年は静かにファルセットを堪能できてとても満足。ステージの床に座るSHINeeさんがどうやら私は大好物。

  • お遊戯の時間がなくなった

かわいいSHINeeさんがみえる楽しい時間と素直に受け入れればいいんだろうけど…私ひねくれ者ですし、そんな状況をわざわざ作らなくたって十分可愛いよって思っていたから今回このお遊戯がなくなってとても嬉しい。もともと甘くて美味しいイチゴに練乳をかけるかのように可愛いの過剰摂取は求めているものとは違っていた。そのままが一番。やっと興味のない友だちにSHINeeさんのDVDを観せても恥ずかしくない気がする。

  • Dream girlの魅せ方

ドリゴルといえばマイクパフォーマンス。前からも横からも後ろからもどこからみても楽しめるパフォーマンスなんだけどマイクがあるから定位置でしかできないと思っていた。そんなドリゴルをメインステージから始めてセンターではステージで終わらせるのには驚いた。スタッフさんが運び屋な瞬間もあるけど、もとの振付をおろそかにしないで活かしながら移動してるのがとにかく斬新だった。

  •  いわずもがなUnplugged Medley

この文字だけはレポで何度もお目にかかったけど、何をどのように歌うかまで把握していなかった。前奏のJulietteのギターが聴こえてきて椅子に座るSHINeeさんをみた瞬間、みたことのない新しいSHINeeさんの姿に期待が膨らんだ。これこそが生バンドの正しい使い方だった。キーくんの♪song for my じゅりっえっ〜 が艶やか。続いて酸素のような君。2012年の池ポチャ演出以来お目にかかっていなかったので、もはや捨て曲になっていたと思っていた。まさかこんな素敵な大人なアレンジになって久しぶりに聴けるなんて。ミノの♪君さえいれば〜ハァア〜〜に感動。そしてじょんひょんのアドリブ。こってり重たい初期のじょんひょんのMJを意識した歌い方がたまらない♡久々にこってりな歌声を日本で聞いた気がした。つぎにわりとシンプルにHello。ミノがユノォユノォフォオってアドリブしてるのに感動。ここまで韓国でカムバするときの活動曲、すなわちダンス曲(りのさん振付)をあえてのアレンジで魅せてくるあたり、本気だなと。最後のDowntown Baby。いきなりピアノの間奏が始まって、てみんさんが♪ねぇ〜って歌い始めるのはズルい。♪きみに〜(てみんさん)きみに〜(おにゅさん)きみに〜(3人目だれ?)って重ねてくるのズルい。ピアノ大好きな私としては♪だれひとり〜のあとのチョロロン(レレ♯ミかな?)って入る伴奏がゾクゾクするというのと、レポを拝見する限りこのピアノの間奏が色々なバージョンがあるらしく、ピアノを聴くだけのためにこのFIVEをみにいきたいと思った。実をいえば安っぽい音がするDTBずっと好きじゃなくて、これまで全然フゥ↗︎フゥ↗︎できなかった。でもこの時ばかりは全力でフゥ↗︎フゥ↗︎してしまった。最後の〆はおにゅさんのアドリブ。自由で余裕を感じる。

全体を通してみんなが別のパートを歌ってハモっていて、これがコンテンポラリーバンドなんだなと体感した。低音はミノが歌ってるのは確実なんだけど、間を歌ってるのがだれなのか全然わからなくて音を分解して聴きたくなった。じょんひょんがメインじゃないときの隠れ方が上手すぎて見つけられない。きっとキーくんが真ん中あたりを絶妙に保ってくれてるんだろうなと(勝手に予想)。

 本来、音楽ってこういうものだよなって思わせてもらえた。歌ってる本人たちが音楽を心から楽しんでいるのはもちろん、シャバンも持ち合わせてるスキルを目立ちすぎない程度に見せつけてきて、しゃうぉるもみてて聞いてて楽しい。その場に居合わせなきゃ体感できない、DVDでもBlu-rayでもハイレゾでも再現できない、そのとき限りの空気感がたまらない。こんなことできるアイドルそうそういないと思うんだ。だからSHINeeさんが好き♡

心から音楽を楽しませてくれてありがとう、SHINeeさん♡

 

 

 

(SHINeeさんがみんなおじさんになって踊れなくなった時でいいから、Unplugged Medleyのようなスタンスのみでいつかホールコンサートやってほしい、切実に♡