好きなもの、好きなこと

好きを言葉にする。残念なアラサー。

ポジデブ

ポジティブを書き間違えたと思ったでしょ?笑『ポジデブ』で間違っていない。これは友人との会話で生まれた造語である。『ポジティブなデブ』の略語。もちろん反対語も存在する。(勝手につくったのだけども笑) そう、おわかりのとおり『ネガデブ(根がデブ)』である。『ネガティブなデブ』だ。

私と友人は万年ダイエッターである。女性はそういう生き物だ。大デブではないが、まだ痩せる余地がいくらかある私たち。肥満(メタボ)についての基準値は設けられているが、デブについてのものさしは人それぞれだと思う。他人からみて明らかに細いのに、『最近太ったんですよ、顔に肉がついちゃって』という人。失礼ながら大きいなと思っていても『わたしぽっちゃりなの』と現実を受け入れた方が良さそうな人。それから、太ももにやたら脂肪がたまりやすい人、背脂がのりやすい人、一見やせていても『脱ぐとお腹がすごいの』という人、デブも多種多様である。脂肪の貯蔵タンクが胸だったらどんなにいいだろうと誰もが一度は考えたことあるだろう。デブは一言では表せない。

世の中の風潮として、太っていることは罪で痩せることは正義であるかのごとく扱われる。ここまで極端ではないかもしれないが、ダイエット成功体験記がもてはやされるのはやはりデブはよくないという共通認識があるからだろう。私たちは今より少なからず太っていた。そして痩せたいけども痩せるための努力は怠っていた。

友人と『ポジデブ』という言葉を作り出した経緯は、デブになると悲観的になるということからだった。デブであることで人は自信をなくすようだ。生活の中でうまくいっていないことまでもデブのせいにしてしまう。『どうせデブだから〜』という便利な枕詞を用いて何事も言い訳するようになる。どんどん卑屈になっていって、『どうせデブだから何を着ても似合わない』『どうせデブだから服を買いに行っても着れる服が売っていない』『どうせデブだから気になる人にも相手にされない』と呪文のように唱え、自分をどんどん『ネガデブ』にしていた。自分で自分のことを好きにならなければ、他人に好きになってもらえるはずなんてない。少しでも痩せて自分のことを好きになれるのなら、痩せることが正義というのはあながち間違っていないのかもしれないと思い始めた時であった。『どうせデブならポジティブなデブになろう』と友人が言い出したのだ。略して『ポジデブ』。デブであるという事実より、デブだからと卑屈になって行動を制限することが自分の人生をつまらなくしている、自分を好きになれないでいる原因であったようだ。別にデブだからこれはやっていけないなんてルールはない。『ネガデブ』よりも『ポジデブ』に生きよう、私たちはあの時そう誓った。

人生は山あり谷あり。『ポジデブ』をどんなに心がけていても『ネガデブ』に戻ってしまいそうな時がある。友人から『いまネガデブになってるよ』といわれ『ポジデブ』に気持ちを切り替えられる。ふざけた言葉なようだけど、私にとって元気を取り戻すための大きな役割を果たしてくれる。心が元気になれば、あんなに怠けていたダイエットもやる気になってくる。あの頃から、私も友人も少しは痩せたようだ。万年ダイエッターに終わりはみえないが、どうせなら『ネガデブ』よりもたくさんの『ポジデブ』な日々を送りたい。