好きなもの、好きなこと

好きを言葉にする。残念なアラサー。

感情も巡る

 経験したからこそ、人の気持ちが手にとってわかるようなことがある。逆に言えば、経験しなければいつまでたってもその気持ちはわからないまま。

 

 昨日まで元気だった人が突然亡くなってしまった。だれもが受け入れ難くて、最上級の悲しみが訪れて、言葉では表せられなくなる。年齢など関係なく、みんなが悲しみにくれる。世界の悲しみの中心がここなのかと錯覚するくらい、真っ暗な世界に包みこまれる。

 

  大好きなアイドルグループの活動はこの先もずっと続くだろうと、根拠もなく永遠を信じることがある。でもあっけなく、永遠は永遠で無くなる瞬間がある。

 ファンが自分の節目で別れを告げるときは、あっさりしている。アイドル側から節目を提示されると、ファンには都合が悪くなり、受け入れ難くなる。感情を持つ人間が商品という時点で、いつかはそういう日がくるのだろうと頭ではわかってはいる。それでも自分の望む形で続いて欲しいと願ってしまう。形が変化して、このままついていくのか、離れるのかの選択を委ねられる環境が嫌になる。どちらを選択しても間違いではない。でも、それぞれ選択した方をお互い良く思えない状況が生まれる。

 

 この2つのことがそれぞれ別の環境で起きた出来事なのか、もしくは同時にひとつの環境で起きたことなのか。最近さまざまな界隈でよく似たことが起きている。思い当たることは人それぞれだろう。

 

  少し前に自分が発した言葉を、いま全く別の人間が発するのを見ると、一瞬の気持ち悪さの後によくわからない安心感が生まれる。私のあの時の気持ちといま同じなんだねと。とてもわかってあげられる。

 

季節も人の感情も時間とともに巡るようだ。