Melody[FROM NOW ON ver.]
再収録が難しい今、音だけでもアレンジして新しいものを届けてくれてありがとうと思っていたら大間違いだった。
Melody[FROM NOW ON ver.]の1回目のサビ(1:05〜1:21)を聴いていたら、オニュさんとじょんひょんの声だけが聴こえる。私の耳には2人の声しか聴こえてこない。
初めてこのver.を聴いたとき、なにか違う気がした。周りの音が変わったからかなとも考えた。 FIVEツアーの記憶をたどると、サビはみんなでユニゾンだったはず。アルバムFIVEに収録されてるMelodyも聴きなおした。私の耳では細かく聴き取れないけども、テミンさんの声がよく聴こえてくる。
SHINeeさんの曲でオニュさんとじょんひょんのふたりだけがユニゾンで歌うことって、かなり貴重で稀な気がする。ananでオニュさんが『相性がいい人ってどんな人?』で語っていることが、この16秒なんだと私は感じた。想像で妄想だけど、そう思いたい♡
なぜこの曲がFROM NOW ON ver.として完全初回生産限定盤に選ばれたのか、疑問だった。シングルのカップリングで、わりと新しくて、昔からツアーで何度も歌ってきたわけでもなかった。アレンジのしやすさや歌詞の内容が理由かなと予想していた。それも少なからずあるかもしれない。でも、この贅沢な16秒が聴けるのだから理由なんて何もいらない。ただありがとうといいたい♡
全体を通して聴いても、声の加工?が少なくなった分、声のアウトラインが明瞭になって、ひとりひとりの声がよくわかる。まるでライブで歌声を聴いてるときのようだ。
まだまだ見つけられていない変化があるかもしれない。他の曲にもなにかしら粋な計らいが隠されているかもしれない。作り手の込めた想いを少しでもたくさんみつけられたらいいな♡
感情も巡る
経験したからこそ、人の気持ちが手にとってわかるようなことがある。逆に言えば、経験しなければいつまでたってもその気持ちはわからないまま。
昨日まで元気だった人が突然亡くなってしまった。だれもが受け入れ難くて、最上級の悲しみが訪れて、言葉では表せられなくなる。年齢など関係なく、みんなが悲しみにくれる。世界の悲しみの中心がここなのかと錯覚するくらい、真っ暗な世界に包みこまれる。
大好きなアイドルグループの活動はこの先もずっと続くだろうと、根拠もなく永遠を信じることがある。でもあっけなく、永遠は永遠で無くなる瞬間がある。
ファンが自分の節目で別れを告げるときは、あっさりしている。アイドル側から節目を提示されると、ファンには都合が悪くなり、受け入れ難くなる。感情を持つ人間が商品という時点で、いつかはそういう日がくるのだろうと頭ではわかってはいる。それでも自分の望む形で続いて欲しいと願ってしまう。形が変化して、このままついていくのか、離れるのかの選択を委ねられる環境が嫌になる。どちらを選択しても間違いではない。でも、それぞれ選択した方をお互い良く思えない状況が生まれる。
この2つのことがそれぞれ別の環境で起きた出来事なのか、もしくは同時にひとつの環境で起きたことなのか。最近さまざまな界隈でよく似たことが起きている。思い当たることは人それぞれだろう。
少し前に自分が発した言葉を、いま全く別の人間が発するのを見ると、一瞬の気持ち悪さの後によくわからない安心感が生まれる。私のあの時の気持ちといま同じなんだねと。とてもわかってあげられる。
季節も人の感情も時間とともに巡るようだ。
ユニコ
突然のライムブームにより水曜日のカンパネラを最近よく聴いている。これまで何度か歌番組でみかけたことがあった。コムアイさんの可愛さと突き抜けた演出の世界観とタイトルに気を取られていて、肝心の曲や歌詞を見落としていた。
まだまだほんの一部の曲しか触れられていない。たくさん曲を聴きこんだり、制作過程など可能な限り調べて学びたいくらい、気になる存在になった。
今のところわかったことは意味のなさそうな呪文のような曲でも、そのテーマにふさわしい言葉を使ってとにかく韻を踏んでいる。軽い表現になってしまうけども、ただただ賢い!日本語で、ある程度の限られたテーマの中で、こんなに韻を踏めるんだ!!!と。
そして音が素敵。たまたまiTunesでみかけたメロスを聴いた。リズムの中に音を置きにいく感じが、しゃいにーさんのShiftが彷彿させられて、すぐに購入してしまった。それからYouTubeで様々な曲を聴きあさり、ユニコへたどり着いた。ユニコは風を感じる曲ってイメージ。ユニコもつい購入してしまった。買ってから気づいたのだけれども、この2曲には全然ライムがなかった。ブーム終焉か?!!笑
ユニコとメロスをリピートで聴いていると、いつも知らぬ間に寝ている。音も声も心地よいからだろう。私の中ではヒーリングミュージックになりつつある。
ただ生きているだけで漠然とした不安に襲われる春がやってきた。この不安な気持ちをどうにか鎮めたい。昨年、この季節にたくさん聴こうと誓ったあの曲は今は聴く気になれない。今年はユニコをたくさん聴こう。
はんすむのライム
이하이の日本デビューに合わせて한숨の日本語バージョンが公開された。
LEE HI - "BREATHE -Japanese Version-" M/V - YouTube
歌詞はまだ一部しか公開されていない。いまのところ元の歌詞がそのまま再現されていると感じた。フルで聞くのがとっても楽しみだし、どなたがこんなに忠実に訳したのかクレジットで早く確認したい♡
とある本を読んでから、言葉のもつ音に興味を持つようになり、ライム(韻を踏むこと)探しにハマっている。この曲の韓国語バージョンはラップがあるわけでもないのに、さりげなくライムのようなものがあって韓国語の音の面白さをちょうど感じていた。(0:53〜)
LEE HI - "한숨 (BREATHE)" M/V - YouTube
숨이 벅차올라도 괜찮아요
すみ ぽくちゃおらど けんちゃなよ
『韻ではなく同じ音だけど、これをライムと呼んでも良いのかな?!!』とライム調査隊初心者には疑問ばかりが浮かぶが、聴いていて心地良いから言葉の音を意識しているのではないかと思いたい。
この絶妙な音の響きを日本語で再現するのはとても難しそうだ。
外国語を理解するのに、意味ばかりを追ってしまうけれど、元の言葉がもつ音の響きも大切にしていきたい。
オニュさんのaの歌声
《新しいアルバムが発売される前に!!!!アルバムFIVEが発売されたとき(1年前)の書きかけの文章に手を加えて、こそっと。》
SHINeeさんの新しいアルバムFIVEがついに発売された。『コンサート映えする曲を集めた』と様々なメディアで何度かいってたから、どんな演出なのだろうと想像を膨らませながら聴いている。とにかく早くコンサートに足を運んで聴きたい観たい♡
日本語曲の新譜が発売される度に確認することがある。それはおにゅさんのパート。おにゅさんの声がわたしは大好き。中でもゆったりした曲でぽわぽわと心地よく響いた時がたまらなく好き。その特性を生かしてなのか、偶然なのか、よくわからないけど、母音aが連続する言葉を歌うのを任されることが多いと思う。(気のせいかもしれない笑) それを見つけるのが私の中での恒例行事となっている。
母音aを気になりだすきっかけになった曲が『kiss kiss kiss』だ。
SHINee - Kiss Kiss Kiss Live (Eng lyrics/Rom) - YouTube
♪ま〜だ〜あ〜ど〜け〜な〜さが
このフレーズが好きすぎてわずか5秒くらい(CDでは0:21〜0:26)を気持ち悪いくらい繰り返して聴いた。何がそんなに好きなのか、何がそんなに心を震わせるんだろうと考えた。そして母音aを歌うときの声の響きがおにゅさんの声で1番の好みであり、このフレーズは8文字のうち6文字がその音であるから好きなんだと気付いた。
こうして私はおにゅさんの母音aチェックをするようになった。kiss kiss kissほど連続するものはなかなかないけども。 参考までに過去の曲でわりと母音aが連続するフレーズをご紹介。
Hello
『おどけておたが〜い ごまかさないで〜』
Sing Your Song
SHINee - 「Sing Your Song」Music Video (full ver.) - YouTube
『ねぇ 手にした〜 かたちのあ〜る〜も〜の〜は〜』
君のせいで
SHINee - 「君のせいで」Music Video (full ver.) - YouTube
『自分さがしながら〜あたらしい〜友だちをたどって〜〜』
今回のアルバムでは…
Winter Wonderland
SHINee(シャイニー) - 「Winter Wonderland」 MV - YouTube
『喜びも痛みも〜 わけあ〜ってきた〜から〜』
『ふ〜ゆ〜が あたた〜か〜いっておもった〜』
Become Undone
『か〜な〜しいほど い〜とし〜くて』
拾いきれてないのがまだまだあるかもしれない。今回のアルバムは全体的にアップテンポの曲が多くて、ゆったりした曲が少ないから見つけにくいのかもしれない。たくさん聴いて心地いいフレーズを探してみたいと思う。
おにゅさんの心地いい歌声のわけをほんの少し探れた気がした♡♡♡
ふぉえばーおいにー
時間が経たないうちに残しておきたい気持ちを書いておこう。全然まとまらない。
しっかり向き合って心の準備をして行くつもりだったのに、結局なにもできずに迎えた2/17。
決して自分の出番があるわけでもないのに、やたらに喉が乾くし、食べちゃうんだけど食欲は湧かないし、味を感じないし、とにかく怖かったし緊張していた。
すっかり目を背ける癖がついてしまったようで、行きの電車でも、昼食の待ち時間でも、フィギュアスケートを熱心に観戦した。
ジャンプが成功するかどうかのわかりやすい緊張感で、心の中にある本当の緊張感を誤魔化し続けた。
公演が始まって何曲か聴いて、ここにあるべきはずの声や姿がなくて、これまで頭ではわかっていたんだけど、初めて耳が実感したようだった。
しばらくして耳が恋しがっていたじょんひょんの声が流れてきた。あぁこれだぁぁ〜!と耳が喜んだ。
けれども、あえて言葉を選ばずいうとCDなら家でも聞けるじゃんとも思った。音程なんていくらでも外していい。生の歌声、そのとき一回限りの歌声を聴きたい。息づかいを感じたい。
それなのに、そういう方法でしか、もう声を聞けない。
これがいないってことなんだなと実感した。
もちろん、じょんひょんのことを思う時間、映像や歌声をみせてくれる時間に不満があるわけではない。
『みんな泣いていいんだよ』っていう時間を設けてくれたことで私もしっかり泣いた。
泣いたからって悲しい事実が変わるわけじゃないんだけど、日常生活を送るために必死に心の奥底にしまいこんでいた感情を徐ろに出して、みんなで痛みを共有する時間は意味あるものだったと思う。
みんなの涙が1万トンに達したら奇跡が起きる…みたいなシステムがなんでこの世に存在しないんだろうって、無意味な考えを浮かべたりしてみた。
たとえこういったドラマみたいな奇跡が起きたとしても、彼の選択を尊重していないことになるんじゃないか。
また同じ結果になるんだったら、私たちはもう一度悲しむことになるのだから、そんなことは起こらない方がいいじゃないのか。
たらればであれこれ想像してみても、結末は悲しいばかりで、とにかく、何もできないんだなと無力だと痛感した。
帰り道、同行してくれた友人と、私たちは現実を受け入れる勇気があるかを確かめるために、ここへ来たんだねと話した。
ここへ来なければ思い出の時間を止めておいて、都合のいいところで記憶を留めておけるのに、ストイックにも来てしまった。
それでも、いい意味で気丈に振る舞っていない、感情を隠さない4人をみて、来てよかったなと思えた。
オニュさんじゃなくてイジンギさんを垣間見た気がした。アイドルとして流す美しい涙じゃなくて、ひとりの人間として流す暗い涙だった。
私の愛してやまない、平和なシンボルしゃいにーさんが悲しみの中心にいることがまぎれもない現実だった。
現実を受け入れるのに必要な光景を見聞きした時間だった。勇気はないけど、努力はしたいと思った。
人は生まれたからにはいつか死ぬ。でもそれは今じゃなかったと私は思う。そう。思ったのは、この私。
無責任にも、私にとって今は都合が悪いのだろう。じゃあ今じゃないなら、いつならいいんだと考える。
自分の興味関心が薄れたときだろうか。いや、いい時なんていつまでも訪れない。
けれども不老不死は存在しない。やがてその時は絶対にやって来る。神様の匙加減。自然の摂理には逆らえない。人生ってそんなもの。
それでも、少し欲張っていいなら、できるだけ長く一緒に彼らとともに年を取りたい。
少しでも長く彼らをみていきたい。